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このブログを見て下さっている方が、
(↑私はお会いしたことない)
「このブログ書いてる人は頭が良い」と言っていた。
という話を聞いたので、
( ゚∀゚)< 誠に残念ながら、書いてる人は「携帯で電話しながら携帯ないないどこ行った事件」を頻繁に起こす正真正銘のバカです。
という、感謝の旨を伝えたい。
(↑メガネもよくある)
みなさまおはようございます。
本日の城端は
晴れ
で、ございます。
お久しぶりの更新になってしましましたね。
とりあえず報告として、
4月21日に雪が降りました。
朝起きたら雪が降ってまして
屋根が白いもんだから、
( ゚∀゚)< バカじゃないのーーーーーー?!?!
って朝一で叫びましたよ。
ごめんなさい。お天道様。
あなたはバカなんかじゃない。
ちょっとビックリしただけなんです。
(↑だってもうすぐ5月なのに…お祭り大丈夫かよ…)
閑話休題。
あと1週間とちょっとに迫って来ました。
城端曳山祭り。
城端の街の中はだんだんと
お祭りムードが高まってきておりまして、
夜、外を歩いていると
獅子舞の太鼓の音が遠くて響くのが分かります。
( ゚∀゚)< はぁ~練習してる~イイね!イイね!お祭りが静かに近づいているね!
さてさて、続いて今日の本題。
今年も無事開催されることになりました。
城端曳山祭り。
300年ほど前に城端で始まりまして、
大阪のだんじり祭りより古いという、
なかなか歴史のあるお祭りです。
9年前に国の重要無形文化財に指定されました。
( ゚∀゚)< 指定されてから、観光客の方もだいぶ増えたよね~。
具体的に城端曳山祭りのどういった部分が
文化財として貴重だと言われているのか、
みなさまはご存知ですか?
( ゚∀゚)< 豪華絢爛の曳山?それとも大きなご神体?あぁでも「無形」文化財だから、庵唄かな?
実はどれも不正解で、
どれも正解。
城端曳山祭りはこの長い長い行列の
祭礼形式が継承されている事が
評価されているのですよ。
( ゚∀゚)< まず最初に、先頭に立つ獅子舞と剣鉾が悪い霊を鎮めて~そのあと8本の傘鉾が神霊を迎えて~
( ゚∀゚)< その後を、3基のお神輿がくるよ。
( ゚∀゚)< そして、庵屋台、御神像が乗った曳山の行列が続いてくがいよ~
神社の祭事などは獅子舞の後に、
お神輿が来たら終わりの所が多いと思います。
( ゚∀゚)< 御神輿(神様)が来た後なのに、七福神やら、中国武人の御神体が乗ったさらに豪華な曳山が来て、なおかつちょいちょい人の情念をしつこいくらいに唄った庵唄をはさんでくる神社のお祭りなんて珍しいかもね。
改めて全体をよーく考えたら城端曳山祭り。
しっちゃかめっちゃかなお祭りですよね。
( ゚∀゚)< きっと高岡に見栄を張れればなんでもよかったんだろうね~
(↑「安永の曳山騒動」で検索してみてください)
繋がりって面白いもので、
織物の産業が城端に無かったら、
こんなに立派な曳山は作れなかったし、
それでも曳山騒動がなかったらこんな
豪華でピカピカな曳山にしようとは思わなかっただろうし、
そして結果的にこのごちゃごちゃ加減がなかったら、
国の文化財指定もなかったかもだろうし、
何よりも昔の城端の人たちの思いがなかったら、
今の私達の目の前に年に一度の美しい光景が
広がることなんてなかったんだろうと考えると、
( ゚∀゚)< 昔と今って繋がってるんだなぁ~昔の人ってすごいなぁ~きっとそのことを知ってたんだろうね~感謝の言葉しか出てこないなぁ~
と、つくづく思うのですよ。
今年の曳山祭りのチラシを見ていたら、
新たに下の方に「城端曳山祭之図」が
配置されているレイアウトになっていたので、
どうしても誰かにいたくなってブログで発散してみました。
制作されたのが城端蒔絵の蒔絵師、
小原治五右衛門の15代目であり、
日本画家としても活躍していらっしゃる
小原好博さん。
織館でも2年前に作品展をさせていただきました。
( ゚∀゚)< これもひとつの小さな繋がりやね。
今年も良いお祭りになりますように。
あと少し。
大変だけど嬉しい。
忙しいけど楽しい。
お祭りの準備して、
皆様のお越しをお待ちしております。
( ゚∀゚)ノ~< 心より~!!