おりにっき

じょうはな織館スタッフが綴る日々の出来事

波の屋島を。

虫刺されの跡がなかなか

治らなくなって来たのを

無常の心で見守る。

そんなお年頃。

(↑そんなの無い)










みなさまおはようございます。

本日の城端は


晴れ


で、ございます。

暑い日が続いてますね。

1年ぶりにうちわを片手に

仕事をしとりましたら、

そのうちわが数年前のむぎや祭りのやつでした。

IMG_8659.jpg

「むぎやとこきりこの里 五箇山・城端」
(↑上の方に書いてある)

ですって。


( ゚∀゚)< 城端は五箇山と一緒にされたくないし、五箇山は城端と一緒にされたくない感がずっとあるよね。


あくまで私の主観ですが、

南砺市という一緒の市になって10年たった今でも

城端は五箇山をド田舎だといいますし

五箇山は世界遺産の格の違いを城端へ事あるごとに見せつけます。



( ゚∀゚)< 目くそ鼻くそを笑うっていう言葉があるよね。



まぁそれは五箇山と城端に限ったことではないので

今は放っておきましょう。


( ゚∀゚)< 町同士が張り合うことで何故か後々素晴らしい文化へ発展する街!!それが南砺市!!


でもせっかくむぎやのお話が出たので、

今日は地元の人や、

むぎや祭りを知ってる人が

なんとなく不思議に思ってるけど

何故かその事に関しては

全く触れないし、知らない

とある事実についてお話しましょうか。



( ゚∀゚)< そういえばそうだな!。っていうお話。


ではでは、


さっそく本日の主題。



皆さんは、なぜ「城端むぎや祭」なのか知っていますか?



毎年、城端むぎや祭りで踊られるむぎや節は

元々は五箇山のものだとという話


去年このブログでしましたよね。



( ゚∀゚)< なのに城端むぎやってよく言ってますよね。



さらに、毎年9月23日24日には

「五箇山麦屋まつり」というお祭りが

ちゃんとむぎやが生まれた地で開催されているのです。


( ゚∀゚)< ええ?!これはさすがに怒ってもいいんじゃない?!城端これはダメだよ!!盗ったって言われても仕方ないよ?!


唄い継がれて来た民謡が

ある日突然よそへ伝わって、

自分たちのものだ。

みたいな事を言われたら

そんな悲しいことはないです。



私だったら、死ぬまでずっと

城端は裏切り者の街だと言い振り回って

死んでも末代まで恨みます。



ですが現代に住んでるものとして見ると、

そこまで言われるほど

城端と五箇山の仲は悪くないような気がする。


( ゚∀゚)< 裏切り者だなんていわれたことないしねぇ。


という事から出てくる

具体的な疑問が、

「城端むぎや祭り」の知名度が

本家であるはずの

「五箇山麦屋まつり」より高いのに

なぜ五箇山の人は怒らないのか。


( ゚∀゚)< そもそもなんで城端でむぎや祭り始まったんだ?始めようってなった時、五箇山の人は何でなにも言わなかったの?腹立たないの?


という事で調べてみたのです。

すると、こんな事が書いてあったのです。


1945年、のちに平村村長となる中村武一氏から城端でむぎやの舞台の建設の要望。


当時は陸の孤島と呼ばれるほど

交通状況の悪かった五箇山の中で

「むぎや」の普及に努めるより、

五箇山の玄関口である城端を

舞台にしたほうが得策だという判断を

当時の平の人たちがしたという事が書いてありました。





( ゚∀゚)……








( ゚∀゚)< 愛だねこりゃ。







愛でした。

舞台を移してでもむぎやを多くの人に

知ってもらいたい、楽しんでもらいたいという

むぎやへの愛。

そして

五箇山の人たちの城端であればより良く

むぎやを広めてくれるだろう、

城端の人たちの五箇山の人たちの声ならば

町を挙げて答えようという

お互いの信頼の愛。




(* ゚∀゚*)< まいったねこりゃ。



そして、1951年

第1回城端むぎや祭りが開催。

出演団体は、城端12町内、

平の下梨と大島、

井波の沖と山斐、

砺波の太田、

山田(福光)の竹林の6保存会で、

合計18団もの参加があったそうです。



( ゚∀゚)< こうしてみるとなんだか昔はなんだかんだでお互いの町は今よりもずっ~と親密だったんだね~



そしてそれから64年後。

今年も9月13日、14日の

2日間で開催されます、

IMG_8654.jpg

第64回城端むぎや祭。

今日ポスターを商工会からいただきました。

IMG_8658.jpg

怒る怒らないの話しでも、

恨む恨まないの話でもなく、

ただただ皆で楽しもうと、

そして楽しさがさらに大きく広がる事を願って

始まったお祭。


( ;∀;)< 浅はかでした!私の!!私の考えが浅はかでした!!!


今ではもうむぎや祭りが

始まった頃のことを知らない人たちへ

少しずつ世代交代の時期に入ってきています。


続いてきたお祭りは

勝手に始まって

勝手に続いてきたわけじゃないことを

知ったような気がします。


地域に残る文化は

当時に生きた人々の感情の記憶なんだと。


なぜ城端でむぎやなのか。

それは合理性云々よりも

もっと温かみのある理由がたくさん

重なって生まれた者なのだと

それを忘れちゃいけないな。と、

思ったのです。


そしてこのことを知ることができた今年は

いつもとは少し違う気持ちでむぎや祭りを

迎えることができそうです。



それでは改めまして

平成26年度城端むぎや祭りは

9月13日(土)、14日(日)の2日間です。

皆様のご来城を



( ゚∀゚)ノ~< 心からお待ちしておりま~す!




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Comment

藪林 says... ""
五箇山の麦屋も 能登から 伝わったと 言われてますね
だから 三つの 麦屋があるのですね
 能登麦屋
 五箇山麦屋
 そして 城端麦屋 と

 あと 3つといえば 一度に3回楽しめるのは 「なんなんまぶまぶ」ですよね
 こんなご縁で 出来たのでしょうか というこじつけ過ぎでしょうか?
2014.07.27 07:54 | URL | #sSHoJftA [edit]
oriyakata says... "Re: タイトルなし"
> 五箇山の麦屋も 能登から 伝わったと 言われてますね
> だから 三つの 麦屋があるのですね
>  能登麦屋
>  五箇山麦屋
>  そして 城端麦屋 と
>
>  あと 3つといえば 一度に3回楽しめるのは 「なんなんまぶまぶ」ですよね
>  こんなご縁で 出来たのでしょうか というこじつけ過ぎでしょうか?

なんまぶが3回楽しめるのは偶然でしょうが、
いろんな縁が重なってできたというのはこじつけなんかではないと思います。
どこかに必ず繋がりがあるものだと思います。


2014.07.27 11:59 | URL | #- [edit]

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