おりにっき

じょうはな織館スタッフが綴る日々の出来事

継承。

一旦は、自分は危ないから逃げなさい。

っていう優しさと、後から

ちょっとお待ちなさいお嬢さん。って

落し物を渡しに来てくれるという

女性に対する異なる2つの優しさと見せつける

童謡「森のくまさん」。

(↑レベル高い)






みなさまおはようございます。

本日の城端は


晴れ


で、ございます。

日差しも痛くはなく、過ごしやすい日ですが

なんでも一年で一番紫外線が強いのは

今なんだとか。

( ゚∀゚)< うっかりしてると真っ黒け~♪畑してたら真っ黒け~♪お花にお水で真っ黒け~♪紫ビームは年中あるけれど~♪夏至のこの時期一番あかん~♪

(↑自作曲)










閑話休題。










ここ、じょうはな織館の建物は

元々「城端織物組合」という名前で

昭和3年に建てられたものです。

当時の城端は絹織物の産地として知られ、

町にはたくさんの織物の工場がありました。

そこで作られた絹織物を一手にここへ集めて

品質検査をする検査場として使われていました。

検査を通った絹織物は加賀藩へ卸され、

「加賀絹」という名前で京都、江戸へ送られていました。


これは。私がいつもお客様に



「ここは元はどんな建物だったんですか?」



と聞かれたら答える一連のセリフです。



( ゚∀゚)< もう完全に覚えてるので絶対この文脈で答えますよ~



そんな時代があった織館ですが

この度その大切な歴史を語る本が

発売されました。

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「浪漫織物城」

織物組合ができた時の事。

有形文化財に指定された経緯。

そしてじょうはな織館として

生まれ変わった時のこと。

この建物がずっと見守ってきた

城端町との思い出。




( ゚∀゚)< 起承転ではなくて起承転か…まだ終わってないもんね。まだまだ続くもんね織館は。



著者である山本哲也さんは

大正から続く地方新聞「城端時報」の

御年84歳の現役新聞記者さんです。

以前は学校の先生をしておられた方で

織館のスタッフの1人も学生時代に

教えてもらっていたそうです。


( ゚∀゚)< 城端の方々からはてっちゃん先生と呼ばれてます。


城端の激動の時代とともに生きてきた

山本先生は城端をこよなく愛す

町の人の一人です。

私は常日頃、


( ゚∀゚)< 大きく変わった商店街、五箇山の人と一緒に作り上げたむぎや祭り、そしてここで働く町の人の生き方はここ100年で城端は大きく変わった重要なその時に私がこの場所にいられなかった事がとても悔しいのですよ~。同じ城端大好き人としてね。


できることなら私自身も

大きく城端と移り変わっていく人生があったら

どんなに幸せだっただろうな。


( ゚∀゚)< なんてね~
(↑地元愛もここまで来ると非常に気持ち悪いと思います。)


そんな羨ましい日々を過ごしてきた

山本先生がしてくださる

じょうはな織館のお話。

IMG_8431.jpg

昭和初期に建てられた貴重な建造物が老朽期に入り、惜しまれながら取り壊され建て替えられるケースが全国各地で続出していた平成8年、文化財保護法が改正され、新たにスタートした「登録文化財制度」によってかつての城端織物の《城》は取り壊しを免れた。
老いたる《織物の城》に用意された第二の人生は「じょうはな織館」であった。
(山本哲也著「浪漫織物城」より抜粋)


ぜひみなさまも手に取って

城端の歴史の一部を

ぜひぜひご覧いただければと思います。

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